山本 紗希さん

金沢医科大学出身

研修を通して女医として一生続けていく道を教わりました

山本 紗希さん

Message

文系の家系ながら、幼い頃に見たドラマをきっかけに医者を目指してきたという山本さん。
「医者になる」という目標を叶えた後に残ったのは「一生医者を続けたい」という想いでした。
そんな時に同じ女医の先生からの言葉が、山本さんの目指す道を決める大きな決め手となったと言います。

幼稚園の頃から
夢は医者になる事でした

幼稚園の時に見た医療ドラマに憧れて、その時から医者になりたいと思っていました。
ドラマの内容はほとんど覚えていませんが、カッコいいなと思ったことははっきりと覚えています。
幼稚園の卒園インタビューで「病院の先生になりたい」と答えている映像も残っていて、他のことは考えたこともなく医者を目指してきました。

両親は文系の人たちで、家系にも医者がいなかったので、どうやったら医者にしてあげられるのかわからなかったそうです。
そこで中学受験くらいはしておいた方が良いと考えてくれて、小学校が終わったら実家から遠く離れた日能研に通わせてくれるなどしてくれました。
今考えると、幼稚園児が言った「医者になりたい」という言葉に、本気で向き合ってくれた両親には感謝しかありません。

唯一、ゆかりがあったのが
聖マリアンナ医科大学

元々は静岡県出身ですが、中学受験で神奈川県の学校に進学しました。
大学は石川県でしたが、研修先は中学時代から過ごした神奈川近郊で考えていました。
最終的に聖マリに決めたきっかけは、弟が学生として通っていたことです。
大学病院で探していましたが、誰も知らない所より少しでもゆかりのあるところの方が心強く感じました。

決め手は2度させて頂いた病院見学です。
1度目の見学では整形外科、2度目は救急を見せてもらい、どちらも皆さん本当に優しくて、ここでなら安心して過ごせると思いました。

夢だった医者になった
その先の目標をくれた先生の言葉

実は、医者になったことで小さい頃からの目標を達成してしまい、そこから先のことを具体的に考えられていませんでした。
研修の期間は何科の先生になるのか本当に悩んでいたんです。
その中で「医者をずっと続けたい」という事ははっきりとしていて、楽しくないとずっと続ける事は難しいと思い、神経内科と麻酔科と産婦人科に絞って、最終的には産婦人科に決めました。
産婦人科は一人立ちが早いことと、産まれる瞬間に立ち会えるなど、やりがいも十分にあります。

さらに、かなり決め手となったのが産婦人科の先生がおっしゃられた言葉でした。
「どの科に行くにしても、女医という立場だと結婚や出産の可能性がゼロではない。そこで辞めたいなら良いけど、一生女医をやりたいならチームの上を女医さんがやってるところは働き続けやすいよ」
この言葉が妙にスッと入ってきて納得したんです。
当直できるのかなど、女医さんがチームの上になれるかは、まだまだ限られている感があり、それが悪いということではなく、現実としてあると思います。

来年度から大学院に行くことも決めて、今後の目標として産婦人科の専門医を取って、大学院も卒業したいです。
あの言葉がなければ、いまだに悩んでいたんじゃないかなと思います。

研修医は2年目からの方が
やれることも増えてきます

研修医としての普段の仕事は、回っている科によって大きく変わります。
科ごとに必要なことをやるというイメージでしょうか。
回る科については、1年目は選択肢が少ない印象です。
必修もやらないといけないので当然かもしれませんが、2年目からは自由度が増します。
1年目は頑張って、2年目は迷っている科を回るなど、割と自由にできるのではないでしょうか。

2年目には地域医療研修もあり、1ヶ月間近くのクリニックでも良いし、遠方でも良いし、実際にどういうことをしているのか学びに行きます。
私は出身大学がある石川県の金沢市に行きました。
ご飯が美味しいし、金沢もとても良いところなんです。

女性の研修医さんに
参考にしてもらえたら嬉しいです

私みたいに、何科の先生になるか全く決まっていない方もいるのではないでしょうか。
そんな方も焦らずに、2年目の研修を自分で勉強になるように選べば良いと思います。

もし迷っている方がいたら、私は産婦人科の先生の女医としての言葉がすごい納得できて、それが本当に大きかったという事があったので、特に女性の研修医の方には参考にしてもらえたら嬉しいです。
勉強はもちろんですが、違った面でも人との出会いで大きな学びがあるかもしれません。
これから聖マリアンナ医科大学に来てくれる方がいたら、私も何か力になれたら良いなと思っています。